【違いと共に暮らす / living with difference】

WELgeeでは、外部の専門家等をお招きしてクローズドなセミナーを開催することがあります。

参加者が感想を寄せてくださいました!

ーーーーーーーーーーーーーー

WELgee主催のトークセッションに参加しました。

テーマは「違いと共に暮らす」

ボストン大学の教授で山口県立大学の客員教授もしているアダム・セリグマン先生を招いての会でした。学術的な部分もあってぜんぶを上手くまとめることはとてもできないけれど、ざっくりした内容を書いてみます。

ーーーーーーーーーーーーーー

*信用よりも信頼関係を築く

私たちが暮らす社会では多くのことが「信用」によって成り立っている。でも家族や身近なコミュニティの中では、なにかありきの信用ではなく、ただただ「信頼」関係がある。私たちは宗教や文化、民族や育った国が違う人たちを信用できるようになるのではなく、信頼関係を築くことが大切なのではないか。そして信頼関係を築くためには、なーんや、俺たち私たちあんまり変わらんやーん、っていうお互い似たような経験をしたことがあるんだ、と気付けるような対話を行うことが重要だ。

.

*違いは乗り越えるものではなく、認識するもの

最近のリベラル派の多くの人は、私たちは「違いを乗り越えるべきだ」と言う。しかし、違いを乗り越えるというのは、実は私たちそれぞれが持っている違いに蓋をして、一つの均一化された「何か」になることである。例えば「私たちはみんな日本という国に暮らす人間なんだから、お互い仲良くしましょうよ。」と言ってしまうと、日本に存在しているアイヌ人、沖縄人、在日朝鮮人、移民、難民、外国ルーツの人々の存在を認識しないことになる。これは日本の中にいる「違い」やそれぞれの声を見逃してしまう。だから、私たちはまず「違いがあること」に気付き、それを認めることが大切だ。違いや境界線があることは悪ではなく、大切なのは、それを知った上でどうやって一緒に暮らしていくかを考えることなのではないか。

.

*「心地の悪さ/不愉快」はあなたの問題であって、目の前の人の問題ではない

セリグマン先生はある日買い物をしていると、目以外全身を覆ったイスラム教徒の女性がお店に入ってきた。彼はそのような女性を見慣れていないものだからすごく居心地が悪くなった。そしてまた別の日、先生は男女混浴のスパに行った。そこでは知らない全裸の女性と一緒にお風呂に入ることがすごく心地が悪かった。全身隠れていても、全身何も着ていなくても「心地悪くなる」ということは、それは自分自身の問題であって、目の前の女性が問題ではないじゃないか!ということ。というか、みんな心地の悪さやなんともいえないムズムズ感に慣れようではないか!

.

*なんのための知識なのか

〇〇の知識(knowledge of)と〇〇のための知識(knowledge for)。私たちは〇〇の「ための」知識を増やしていこう。目の前にいる難民の人と仲良くなりたい。だからその人の宗教や、難民になった経緯を含めた国際情勢の勉強をする。知識を増やす。そして、その人とたくさんの話ができるようになる。知識というのはこういう風に使うためにあって、ただ何かを知るだけでは何も始まらない。

ーーーーーーーーーーーーーー

こんな感じのことを2時間ほど、冗談も含めて聞くことができました。

「日本人しかいない日本」はもう存在していなくて(昔から違うとは思うけれど)、「日本に存在している違い」が目につくことが多くなったと思います。でも「違い」に敏感に反応することがまるで差別をしているように捉えられるから、あえて「違い」を見ない、触れないようにしちゃう人は多いのではないでしょうか。

でも本当に大切なのは、その違いとしっかり向き合うこと。ムズムズするけど、心地の悪さから逃げないこと。セリグマン先生の話を聞いて、改めて社会の中にある多様性をしっかり捉えたうえで、それぞれが気持ちよく暮らせる社会にしていく努力をしていきたいと思いました。

(Yukimi Mizuno)

画像に含まれている可能性があるもの:2人、座ってる(複数の人)
画像に含まれている可能性があるもの:3人、座ってる(複数の人)、室内
画像に含まれている可能性があるもの:1人、立ってる、室内
画像に含まれている可能性があるもの:2人、座ってる(複数の人)